2018年11月01日

30年合宿に参加して

(福島義宣さんからの寄稿)
昨年に続いて、合宿に参加させていただいた。
合気道は相手と争わないという大きな理念のもとに、勝ち負けを競わない
武道である、ということを入門と同時に色々な機会で教えられる。
この高邁な理念のお蔭か、同じ段位でも、道場によって、実力に格差があ
ることが多い。これは、道場主の気構えに起因するところが多いと思って
いる。
”悪貨は良貨を駆逐する”が如く、有段者の実力が、低いレベルの道場にお
ける段位に近づいている傾向が見られるような気がする今日である。
自分が入門した当時、高段者から”貴方は我が強い”と何度も言われた。
接点を通して、相手と会話をして、動きを察するということを教えてくれ
たのでは無く、このヒトは、「技を掛けても、貴方は素直に倒れてくれな
い」ということを暗に言っていたのだ ということが、数年経ってから、
ようやく分かったという経験もある。
短い経験ではあるが、合気道を学ぶ者にとって絶対に欠かせない真理は、
良き師に教わることである。最初は何も考えず、安易に@近場にある道場
に入門する A入門したら、先生や先輩達が別次元の人に見えて大尊敬・
・・・ということが普通だと思う。
しかし、数年の稽古を積んだあとで、自分が目指す合気道に少しく目覚め 
たときには、自分の目的に合った良き師を求めるべきと思う。
良き師が十人いれば十の合気道があると言われる。良き師は、もともと才
能豊富な方が、数十年間に亘る厳しい研鑽を積んで今日に至っているので
あり、自らの合気道を身に付けている。そのような師の技は常に進化を続
けている筈だ。
自分は、良き師と思った先生の合気道を総て認めた上で、この先生のこの
部分は自分に合った合気道だから吸収したい という気持ちで、何人かの
先生に教えを乞うている。
このような先生は、仮に1時間の稽古を受けても、必ず得るものがある。
数か月後に同じ技を習った場合でも、何かしら新しい気付きを与えてくれ
ることが多い。
吉川師範は、その貴重な先生のお一人である。
年に一度の合宿、年にたった数回の稽古参加ではあるが、今回の合宿も、
課題と気付きをいただき、充分に満足するものであった。
花見川道場の等々力先生は、色々な師に学ぶことを許して下さった。この
許可がなければ、自分は、井の中の蛙のままに、合気道人生を終えたに違
いなく、先生に感謝している。
故斎藤守弘師範も、「沢山の道場があります。沢山の先生に学びなさい。
好きな先生を決めて、”僕はあの先生が好きだから”と言ってその先生の稽
古ばかりでは充分ではないと思います」と語っておられる。
この一文に接した道友が一人でも、吉川師範の通常の稽古とか、来年の合
宿に参加して何かを得てくれることを念じています。
posted by 八千代合気道友会 at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ
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